ビバークの前穂高岳・北尾根
<前穂高・北尾根> 2012/5/3~5/6日
参加者 NCC 竹内和比古L 石附岳 小林勝一郎
新潟山岳会 白倉穂高(通称穂高さん) 計4人
穂高さんの山行記録 http://blogs.yahoo.co.jp/yasu_sanngaku/66468487.html
直リンできないようなのでコピー&ペーストでお願いします。
5月3日、小雨 沢渡6:30分発~タクシー~上高地7:00発~横尾10:00~涸沢14:30着竹ペグでテント張る、雪は多いがテントは少ない。
5月4日、曇り4:00起床 朝食取り5:45分出発 左側の尾根を5~6のコルをめざして登る、急登でピッケルをキチンと刺さないと危険。
ようやくコルに着いたと思ったら6~7のコルだった、不覚。
(手前の黒い尾根の右側が5~6のコル)

5~6のコル着10:30分、テントもありやはり広い。3峰の登攀は前に3パーティ程(7人パーティもいる)おり混んでいる。
(3峰登る前のパーティ、この頃は曇り)
12:00登攀開始、最初に竹内・小林が行く。1ピッチは左側から右に回りこみ(チムニーは登らず)ビレイ、2ピッチ目は簡単で登攀終了。3峰を登ってからも雪が多く左側をまく、奥又白側は急で危険。この頃から雪がチラつきになり次々と前のパーティが降りてくる。
竹内が「下降ですか?」と聞く。「天気悪そうなので5~6のコルから降ります」の返答。「せっかく来たのどうして奥穂高まで行かないの?」「奥穂高まで2~3時間あれば行けるのに」と思う。しかしこれがビヴァーグの予兆だった。
14:30分前穂高頂上着、
左から穂高、石附、小林(竹内撮影)

この頃から風も出て視界なくなる。さて吊尾根は?吊尾根は前穂高についたらすぐ右側(西側)通いなれている道だ。ところが前穂高頂上は広い、当然雪で道は埋まっている。万歳している間に方向見失う、地図・磁石・ナビだして4人で相談するがはっきりしない。穂高さんのナビで急斜面を降りるがそこは前穂高の裏側(南側)重太郎新道方面だった。16:30分時間切れで尾根を下った岩の雪を掘ってビヴァーグを決める。ツェルト2枚つなぎ、もう1枚は下に敷く。この頃から風雪が強まる、ツェルトが機めくが破れないようだ。気温は-5度前後か?男同士・体を寄せ合って体を温める、ツェルトにたまる雪払うのに苦労する。穂高さん靴が濡れ、凍傷の心配をする。ガス持ってくるがヘッドなしの失態。この頃白馬や穂高で大量遭難があったとは…、何とか12時間寒さに耐える。
5月5日、4時起床、5時出発し登り返す、わずかな晴れ間から左側に吊尾根が見える、これで現在地がわかり、ルートが確認できてホッとする。前穂高に登り返すと昨日北尾根を登っていた3人組が前穂に向かって歩いている。合流し、竹内が「前穂高にもどるんですか?」と聞く。「雪洞を掘ってビバーグしました。奥穂に行く途中危険箇所があったので帰ります」との返答。ここから穂高岳までがトラバース、懸垂下降、岩登り等真冬の登攀と同じで厳しかった。小林さんが疲れた様子で危険なので石附さんが寄り添う。穂高さんが前奥穂の巻道を示してくれて助かる。13:00念願の奥穂高岳に到着、さすがに誰もいない、これで助かったと胸をなでおろす。安全圏に入り記念撮影。
(左から石附、小林、竹内 穂高氏撮影)

結局前穂~奥穂は8時間かかりこの日の行動は我々だけだった。私の体には「5月の前穂~奥穂高は2時間」との経験が染み付いている、こうした思い込みが遭難につながる事を改めて知る。14:15分奥穂高岳山荘に入り小林さんからコーヒーをご馳走になる。30分程度休息し下降する。涸沢のテント場近くに女性がうずくまっている、後に遭難者と知る。3:30分テント場に到着しホッとする。5月4日早朝から今日の夕方まで36時間行動だった。夜はみんなでウィスキーや酒を飲み干し山談義に花が咲く。
5月6日 6:00起床、警察の人が「遭難者をヘリで上げるのでテントが飛ばないよう気をつけてください」と連絡がある。まもなく爆音と共にヘリ到着。涸沢岳の遭難者か?
8:00下山 1:00上高地着 下山中ずっと大雨だった。沢渡で風呂に入り、ご飯を食べながら新聞で大量遭難があったことを知る。
今回は、①5~6のコルの間違い②前穂高から吊尾根のルート迷い
③ビバーグ装備の不備と反省だらけの山行だった。おかげで下山してから一週間余り風邪を引くなど体が免疫不全に陥る。齢61歳を過ぎて自重しないと……思っているのだが。最後にGWで多数の登山者が亡くなられた事にご冥福をお祈りします。
記 竹内
山行報告
5/2(水)曇り時々雨
22:15 松本駅にて小林を拾い、上高地沢渡に向かう。土産物店の前にテントを張る。
仕事を終えてからの長旅であったが、少量の酒を酌み交わし、翌日からの行動を確認しつつ眠りにつく。
5/3(木)少雨時々晴れ
起床朝食等(5:00)-出発(6:30)-上高地(7:00)-涸沢テント場(14:30)
早朝、タクシーにて、上高地を目指す。幸いにも少雨であったため、涸沢までは苦にならないと思われた。
明神-徳沢-横尾まで、訳3時間。少し早いペースである。横尾から登山道になり、約3時間で標高2,300mの涸沢に着く。
雪は想像していたよりも多いのではないか。テント設営後、夕食までの間、いつものように酒を飲み、山談義となる。
5/4(金)曇り時々晴れ後少雨。夜風雪
起床朝食等(4:00-5:45)-67のコル(7:15)-34のコル(10:30)- 登攀開始(12:00)-前穂高山頂(12:30)-ビバーク地点(16:30)
長い一日が始まる。前穂高北尾根56のコルを目指し、いきなりの急登に入る。雪の状態は柔らかく湿っている。
そのため、急登の場合、足がずれ落ちる感覚あり。アルバイトの末、稜線に出る。この時点では誰しも56のコルであると信じて疑わなかった。途中、登山者にすれ違いわれわれが稜線に出たところは67峰のコルであることが判明した。
時間的なロスは否めないが前穂高を目指す。このルートは、3峰の登攀がメインである。ここからザイルを出すことになる。
登り始めたのはヒル12時近くであったことを記憶している。ダイナミックなアイゼン岩登り。途中、1か所右ルートか左のチムニーのルートを選択するのか迷ったが、右のルートを選択し、登攀していく。
最終的に、ザイルは2ピッチ、3峰のみで使用し、後は慎重に両手と岩にアイゼンの爪を立てて登った。
遂に、14:30頃、前穂高の山頂に立つ。
前穂高から奥穂高へ向かう吊尾根のルートであると信じ、急斜面を下り始める。(実際は、吊尾根ではなかった。)
16:30 時間切れ。ビバークする。(吊尾根より南西の支尾根。標高約2800m地点。)その時点の天候は曇り。微風雪無し。全員冬のビバークは初めてである。ツェルトを2枚繋ぎ、風雪をしのぐ準備に入る。ビバークの体制完了後、風雪強まる。
翌朝は天候が回復し、ルートが確認できることを期待する。朝4:00事理には日が昇り、薄明るくなることが予測されていたので、12時間耐えることになる。気温は-5度前後か。肩を寄せて、身体を震わせて、小さく折りたたんで、定期的に来る突風からみを守った。(その状況下でも仮眠をとっていた石附氏がいた。)
ビバーク時の装備はツェルト以外無し。ガス、防寒着、食糧、コッヘル等を携帯していなかった。
5/5(土)曇り時々晴れ夜大雨
起床(5:00-6:00)-前穂高山頂(8:00)-吊尾根-奥穂高山頂(13:00)-穂高岳山荘(14:15)-涸沢テント場(16:00)
AM6:00。ガス晴れる。奥穂高を確認する。先ず前穂高山頂に戻り、竹内リーダーと穂高さんの素晴らしい協力によりルートが切り開かれていく。小林は石附氏の激励を一身に受け、巻道を、トラバースを、懸垂下降を、背面下りを、無新に(時には愚痴りながら)歩く。13:00過ぎ、雪の吊尾根を制し奥穂高山頂に立つ。若干の晴れ間が覗く間に記念撮影。(風強し。)
5分後には穂高岳山荘に向かい下山を開始。約1時間後、山荘に無事に着く。コーヒーを1杯飲み、涸沢に向かって再び下山。
ここまでくれば、急な下りではあるが、安全である。16:00テント場に生きて戻る。(穂高さん、竹内さんは15:00頃に到着済み)
5月4日の朝から5月5日の夕方まで約36H。殆ど飲まず食わずで山に向き合っていた。
5/6(日)大雨
起床(6:00-8:00)-上高地(13:10)
昨夜からの大雨突風でテントが吹き飛ばされるのではないかと心配したが、皆疲労のため快眠であったようである。
朝食後、上高地に向けて下山。約5時間で上高地に到着。GWの山行は無事に終了。
感想(私事)
春山の厳しさを知る貴重な経験をさせてもらった。
少雨に始まり、晴れ、濃霧、雪、風、大雨。我々は自然の中に居させてもらい、また、自然に守られていたように感じている。
我々は協力して山に登り、山を下ることが出来ました。若干1名愚痴の多いバカがいて足を引っ張っていたようであったが。。。
とにかく生きて戻ることができて感謝しています。
尚、行程時間については、筆者の記憶のみに基付き記述している時間であることをご了承いただければ幸いです。
追記
5月4日は天候が悪化することが予測されていた。
穂高連峰は、例年よりも積雪量が多く、冬山の状況であった。
34のコルに戻らず、奥穂高を目指したこと。
ビバーク決断の時間、場所の選定。
ルートファインディングの重要性。
上記を総合的に判断して、今回の行動は危険困難の状況下でも「安全」を考慮する確率の高い行動を選択したと考えている。但しビバークの用意(装備、防寒、食事等)については、再考し、熟考を重ねる必要があると感じている。
このGWには、沢山の登山者が亡くなられたとのこと。ご冥福をお祈りいたします。
文責 小林
参加者 NCC 竹内和比古L 石附岳 小林勝一郎
新潟山岳会 白倉穂高(通称穂高さん) 計4人
穂高さんの山行記録 http://blogs.yahoo.co.jp/yasu_sanngaku/66468487.html
直リンできないようなのでコピー&ペーストでお願いします。
5月3日、小雨 沢渡6:30分発~タクシー~上高地7:00発~横尾10:00~涸沢14:30着竹ペグでテント張る、雪は多いがテントは少ない。
5月4日、曇り4:00起床 朝食取り5:45分出発 左側の尾根を5~6のコルをめざして登る、急登でピッケルをキチンと刺さないと危険。
ようやくコルに着いたと思ったら6~7のコルだった、不覚。
(手前の黒い尾根の右側が5~6のコル)

5~6のコル着10:30分、テントもありやはり広い。3峰の登攀は前に3パーティ程(7人パーティもいる)おり混んでいる。
(3峰登る前のパーティ、この頃は曇り)
12:00登攀開始、最初に竹内・小林が行く。1ピッチは左側から右に回りこみ(チムニーは登らず)ビレイ、2ピッチ目は簡単で登攀終了。3峰を登ってからも雪が多く左側をまく、奥又白側は急で危険。この頃から雪がチラつきになり次々と前のパーティが降りてくる。
竹内が「下降ですか?」と聞く。「天気悪そうなので5~6のコルから降ります」の返答。「せっかく来たのどうして奥穂高まで行かないの?」「奥穂高まで2~3時間あれば行けるのに」と思う。しかしこれがビヴァーグの予兆だった。
14:30分前穂高頂上着、
左から穂高、石附、小林(竹内撮影)

この頃から風も出て視界なくなる。さて吊尾根は?吊尾根は前穂高についたらすぐ右側(西側)通いなれている道だ。ところが前穂高頂上は広い、当然雪で道は埋まっている。万歳している間に方向見失う、地図・磁石・ナビだして4人で相談するがはっきりしない。穂高さんのナビで急斜面を降りるがそこは前穂高の裏側(南側)重太郎新道方面だった。16:30分時間切れで尾根を下った岩の雪を掘ってビヴァーグを決める。ツェルト2枚つなぎ、もう1枚は下に敷く。この頃から風雪が強まる、ツェルトが機めくが破れないようだ。気温は-5度前後か?男同士・体を寄せ合って体を温める、ツェルトにたまる雪払うのに苦労する。穂高さん靴が濡れ、凍傷の心配をする。ガス持ってくるがヘッドなしの失態。この頃白馬や穂高で大量遭難があったとは…、何とか12時間寒さに耐える。
5月5日、4時起床、5時出発し登り返す、わずかな晴れ間から左側に吊尾根が見える、これで現在地がわかり、ルートが確認できてホッとする。前穂高に登り返すと昨日北尾根を登っていた3人組が前穂に向かって歩いている。合流し、竹内が「前穂高にもどるんですか?」と聞く。「雪洞を掘ってビバーグしました。奥穂に行く途中危険箇所があったので帰ります」との返答。ここから穂高岳までがトラバース、懸垂下降、岩登り等真冬の登攀と同じで厳しかった。小林さんが疲れた様子で危険なので石附さんが寄り添う。穂高さんが前奥穂の巻道を示してくれて助かる。13:00念願の奥穂高岳に到着、さすがに誰もいない、これで助かったと胸をなでおろす。安全圏に入り記念撮影。
(左から石附、小林、竹内 穂高氏撮影)

結局前穂~奥穂は8時間かかりこの日の行動は我々だけだった。私の体には「5月の前穂~奥穂高は2時間」との経験が染み付いている、こうした思い込みが遭難につながる事を改めて知る。14:15分奥穂高岳山荘に入り小林さんからコーヒーをご馳走になる。30分程度休息し下降する。涸沢のテント場近くに女性がうずくまっている、後に遭難者と知る。3:30分テント場に到着しホッとする。5月4日早朝から今日の夕方まで36時間行動だった。夜はみんなでウィスキーや酒を飲み干し山談義に花が咲く。
5月6日 6:00起床、警察の人が「遭難者をヘリで上げるのでテントが飛ばないよう気をつけてください」と連絡がある。まもなく爆音と共にヘリ到着。涸沢岳の遭難者か?
8:00下山 1:00上高地着 下山中ずっと大雨だった。沢渡で風呂に入り、ご飯を食べながら新聞で大量遭難があったことを知る。
今回は、①5~6のコルの間違い②前穂高から吊尾根のルート迷い
③ビバーグ装備の不備と反省だらけの山行だった。おかげで下山してから一週間余り風邪を引くなど体が免疫不全に陥る。齢61歳を過ぎて自重しないと……思っているのだが。最後にGWで多数の登山者が亡くなられた事にご冥福をお祈りします。
記 竹内
山行報告
5/2(水)曇り時々雨
22:15 松本駅にて小林を拾い、上高地沢渡に向かう。土産物店の前にテントを張る。
仕事を終えてからの長旅であったが、少量の酒を酌み交わし、翌日からの行動を確認しつつ眠りにつく。
5/3(木)少雨時々晴れ
起床朝食等(5:00)-出発(6:30)-上高地(7:00)-涸沢テント場(14:30)
早朝、タクシーにて、上高地を目指す。幸いにも少雨であったため、涸沢までは苦にならないと思われた。
明神-徳沢-横尾まで、訳3時間。少し早いペースである。横尾から登山道になり、約3時間で標高2,300mの涸沢に着く。
雪は想像していたよりも多いのではないか。テント設営後、夕食までの間、いつものように酒を飲み、山談義となる。
5/4(金)曇り時々晴れ後少雨。夜風雪
起床朝食等(4:00-5:45)-67のコル(7:15)-34のコル(10:30)- 登攀開始(12:00)-前穂高山頂(12:30)-ビバーク地点(16:30)
長い一日が始まる。前穂高北尾根56のコルを目指し、いきなりの急登に入る。雪の状態は柔らかく湿っている。
そのため、急登の場合、足がずれ落ちる感覚あり。アルバイトの末、稜線に出る。この時点では誰しも56のコルであると信じて疑わなかった。途中、登山者にすれ違いわれわれが稜線に出たところは67峰のコルであることが判明した。
時間的なロスは否めないが前穂高を目指す。このルートは、3峰の登攀がメインである。ここからザイルを出すことになる。
登り始めたのはヒル12時近くであったことを記憶している。ダイナミックなアイゼン岩登り。途中、1か所右ルートか左のチムニーのルートを選択するのか迷ったが、右のルートを選択し、登攀していく。
最終的に、ザイルは2ピッチ、3峰のみで使用し、後は慎重に両手と岩にアイゼンの爪を立てて登った。
遂に、14:30頃、前穂高の山頂に立つ。
前穂高から奥穂高へ向かう吊尾根のルートであると信じ、急斜面を下り始める。(実際は、吊尾根ではなかった。)
16:30 時間切れ。ビバークする。(吊尾根より南西の支尾根。標高約2800m地点。)その時点の天候は曇り。微風雪無し。全員冬のビバークは初めてである。ツェルトを2枚繋ぎ、風雪をしのぐ準備に入る。ビバークの体制完了後、風雪強まる。
翌朝は天候が回復し、ルートが確認できることを期待する。朝4:00事理には日が昇り、薄明るくなることが予測されていたので、12時間耐えることになる。気温は-5度前後か。肩を寄せて、身体を震わせて、小さく折りたたんで、定期的に来る突風からみを守った。(その状況下でも仮眠をとっていた石附氏がいた。)
ビバーク時の装備はツェルト以外無し。ガス、防寒着、食糧、コッヘル等を携帯していなかった。
5/5(土)曇り時々晴れ夜大雨
起床(5:00-6:00)-前穂高山頂(8:00)-吊尾根-奥穂高山頂(13:00)-穂高岳山荘(14:15)-涸沢テント場(16:00)
AM6:00。ガス晴れる。奥穂高を確認する。先ず前穂高山頂に戻り、竹内リーダーと穂高さんの素晴らしい協力によりルートが切り開かれていく。小林は石附氏の激励を一身に受け、巻道を、トラバースを、懸垂下降を、背面下りを、無新に(時には愚痴りながら)歩く。13:00過ぎ、雪の吊尾根を制し奥穂高山頂に立つ。若干の晴れ間が覗く間に記念撮影。(風強し。)
5分後には穂高岳山荘に向かい下山を開始。約1時間後、山荘に無事に着く。コーヒーを1杯飲み、涸沢に向かって再び下山。
ここまでくれば、急な下りではあるが、安全である。16:00テント場に生きて戻る。(穂高さん、竹内さんは15:00頃に到着済み)
5月4日の朝から5月5日の夕方まで約36H。殆ど飲まず食わずで山に向き合っていた。
5/6(日)大雨
起床(6:00-8:00)-上高地(13:10)
昨夜からの大雨突風でテントが吹き飛ばされるのではないかと心配したが、皆疲労のため快眠であったようである。
朝食後、上高地に向けて下山。約5時間で上高地に到着。GWの山行は無事に終了。
感想(私事)
春山の厳しさを知る貴重な経験をさせてもらった。
少雨に始まり、晴れ、濃霧、雪、風、大雨。我々は自然の中に居させてもらい、また、自然に守られていたように感じている。
我々は協力して山に登り、山を下ることが出来ました。若干1名愚痴の多いバカがいて足を引っ張っていたようであったが。。。
とにかく生きて戻ることができて感謝しています。
尚、行程時間については、筆者の記憶のみに基付き記述している時間であることをご了承いただければ幸いです。
追記
5月4日は天候が悪化することが予測されていた。
穂高連峰は、例年よりも積雪量が多く、冬山の状況であった。
34のコルに戻らず、奥穂高を目指したこと。
ビバーク決断の時間、場所の選定。
ルートファインディングの重要性。
上記を総合的に判断して、今回の行動は危険困難の状況下でも「安全」を考慮する確率の高い行動を選択したと考えている。但しビバークの用意(装備、防寒、食事等)については、再考し、熟考を重ねる必要があると感じている。
このGWには、沢山の登山者が亡くなられたとのこと。ご冥福をお祈りいたします。
文責 小林
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